Musical『四月は君の嘘』

 

公演内容と原作のネタばれしてます。

 

TVUで小関君が凄く良かったので他の演技も見てみたいな、直近で『四月は君の嘘』するじゃん。という軽い気持ちでチケット取って観に行きました。

原作面白いし、作曲ワイルド・ホーンだし、面白いにきまっとるやろ。と期待値高めで観劇したのですが、観劇後の率直な感想としては残念だなの一言になってしまいました。

割と冒頭から私の期待してたミュージカルではないなーとか「四月は君の嘘」ってこんなツマンナい話だっけ??と思ってました。

原作は漫画が上手いなと思います。
漫画を構成する絵、お話、キャラクター、構成と総合力が高い作品だなと思います。

昔のトラウマによりピアノが弾けなくなった元天才。彼に影響を受けた余命幾許もないヴァイオリニスト。彼に近づきたいが為についた一つの嘘。その嘘で結びついた4人の少年少女が織りなす物語。魅力的な導入に、コミカルに描かれる物語の中に一滴一滴落とされる悲劇を予想させるシリアスなシーン。

漫画は一度読んだことがあったのですが、すっかり忘れての観劇でしたが、観劇中に絶対もっと原作は面白かった筈と観劇の翌日からマガポケで1日1話読み返しました。
観劇後にTwitterで「かをりの嘘にまつわる4人の関係にもっと軸を絞るべきだったんじゃないかな。」と呟いたのですが、多分制作の意図としてはそうしたかったんだと思います。井川絵見も相座武士もメインキャストという扱いではないですし、瀬戸紘子も相座凪も出て来てません。
原作では井川絵見と相座武士は有馬公生の才能に嫉妬し、有馬公生がいかに才能溢れる人物であり、過去を浮き彫りにする上で欠かせない人物で、一方、瀬戸紘子は公生が再びピアノに向き合い、歩み出すために必要な人物で相座凪も公生が彼女にピアノを教えることで公生が成長する上で大切な登場人物です。
でも、舞台では描かれてない。
舞台を観ただけでは井川絵見と相座武士が何故、そこまで有馬公生に固執するのか分からないし、(急に「有馬公生」と連呼する歌歌い出して、凄く違和感があったし)、瀬戸紘子が出てこないので、まったく練習に励んでる姿もピアノと向き合ってる姿も出てきません。
舞台では、つまりは有馬公生は宮園かをりという運命の人に出逢えたからトラウマを克服でき、ピアノが弾けるようになりました、ということなんだなと感想を持ちました。
もう観劇から結構日にちが経っているのでなんとも言えませんが、びっくりするぐらいピアノを練習するシーンがなくて(でも、代わりに公生が苦悩するシーンは山ほどある)、なんじゃこりゃ??と思ってしまいました。
原作こんなんじゃなかったよね???
と思って1日1話読み進めると、公生が練習するシーンやピアノと向き合ってるシーンがあって、ホッとしました。そうだよね。公生、練習してたよね。。なんで、舞台は練習するシーン、ごっそり削ったのか本当、謎。
私は原作を読んで、かをりと出逢ったことをキッカケに再び公生がピアノと向き合い、努力し練習して自分の力でトラウマを克服したから、かをりが居なくなっても大丈夫という結末になったと思ってるんです。ところが、舞台では特にピアノと向き合うことなくグジグジ悩み、かをりのお陰でトラウマを克服し、かをりのお陰で何故かピアノが弾けるようになり、かをりが居なくなって幕が閉じるという印象を受けてしまって、原作の面白いとこ一切伝わってこないし、キャラクターもそんなんじゃないよね???と消化不良が半端なかったです。
帰り道、脚本家誰だよ???って思わずググってしまった。。。
個人的に演出よりも脚本が漫画原作の良さを表現出来てなかったように思います。
例えば、かをりと公生が橋から川に飛び込む原作でも印象的なシーンがあります。あの流れが舞台上では本当に突飛で、急に2人が舞台から飛んで消えて、なに???どういうこと???って困惑したんですが、原作読読み直して、ああー、あれ橋から川に飛び込むシーンだったんだ、と理解しました。
分かんなかったよ。まじで。。
2人の描写がちゃんと描かれていればまだ伝わったのかもしれないけれど、本当に流れが全然分からなかった。

兎に角、色々な細かいところがそんな風に原作の良さを全く活かされてないように感じました。本当に全部が全部。
製作側は4人をフューチャーさせたかったし、原作のコミカルな部分を最小限に抑えて、漫画や2次元っぽさを省いた描き方をしたかったのかなと思ってしまった。
その結果、公生がただグジグジ悩んでるだけのキャラになってしまっていた。。
他の3人はキャラ的にコミカルさを残せたから余計に。。
木村君の公生がどうだったか全く分からないんですが、小関君は演技が重くなってしまって、勿論、それはあの脚本的には正解なんだろうけど、いや、でもそこまで重くならんでも、、、とやっぱり原作の公生と比べて、違うよな~と思ってしまった。
これは舞台なんだから原作のことは忘れて舞台の『四月は君の嘘』を楽しむべきっていう意見もあると思うのですが、やはり漫画が原作であるなら漫画の雰囲気や核となる部分は尊重されるべきだと思うんですね。
四月は君の嘘』から漫画の表現を抜いて、でも気持ち程度に残して、良い感じに舞台化したかったんだろうな。。
原作を読んだ人間としてあの舞台が原作の良さを残してるとも、原作の良さを捨てる価値のある全く別の良さを表現してるとも思えませんでした。
私は原作を読んだことがある程度の人間だけど、もっと原作を愛してる人がこの舞台を観たらどう思うんだろう?ワイルド・ホーンの息子さんが好きで推した作品らしいですけど、彼がこの作品を見てどう思ったんでしょう?
漫画原作を舞台化するってことは、背景に原作の漫画やキャラクターが一番大事と思ってる人が決して少なくないということを知らないのかな?原作と比べてどうか、という判断基準がまず第1に来るということを知ってるんだろうか。
勿論、ワイルド・ホーンの楽曲も音がついた『四月は君の嘘』も素晴らしかったと思います。ただ、音がつくだけならアニメで充分という感想もあることを知っといてもいいと思う。

 

これから『キングダム』や『スパイ・ファミリー』が帝劇で舞台化されるけど、原作の雰囲気を本当に大事に出来る?
人気があるからとか、舞台化しやすそうだから?とかで選んでない?
キャラクターに愛を持って命を吹き込める?
漫画原作のメリットだけを求めていない?
とキャラクターを背景に『キングダム』のキャスト発表してる公式Twitterを見て、モヤモヤしてそんなことを思ってしまいました。
私は『キングダム』を読んだことないのであんま分かってないのですが、『キングダム』は「古代中国の春秋戦国時代末期における、戦国七雄の戦争を背景とした作品」(by Wiki)らしいので、ストーリーがしっかりしてるのかな?という印象を持ってるのですが(あと、東宝配給で映画もしてるので作品に対してある程度熟知している点があるのかな、)『スパイ・ファミリー』って完璧キャラ物だよね。。という思いは拭えない。
(『スパイ・ファミリー』はジャンプラで読んでます)
色々と2.5次元界隈を薄目で見てた身としては最近の東宝の作品群に違和感を持たざるを得ない。
勿論、コロナで海外版権ものをしたくても出来ないという事情は重々承知していますが。。。
でもなー、漫画原作の『四月は君の嘘』の出来を私は納得できなかったので、どうしても大丈夫?本当に大丈夫??と思ってしまう。
個人的には国産の面白く素晴らしい舞台が沢山出来ればいいなと思っていますし、両作品とも成功して欲しいなと思っています。
でもやっぱり原作ファンが満足する出来になればいいなと、漫画原作の舞台に対してはそう思ってしまいます。

Musical『四月は君の嘘』は平日観劇したんですが、ほぼほぼ満席で多分興業的には成功だと思うのですが、ラストのかをりの手紙でそんなに泣いてない観客席*1を経験した身としては、本当の意味で成功して欲しいなと思っています。

*1:四月は君の嘘」のタイトル回収。号泣必至みたいなラストなのに、すすり泣きが本当にごく僅かだったのが衝撃的だった。オタクすぐ泣くのに。勿論、私の観劇回だけそうだったかもしれないし、リピーターが多かったからという理由があるかもしれないですけど、お約束のシーンって絶対泣くやん。私何回観ても、『RENT』のラスト、Final B流れたらいつも号泣してるよ。