ザファにトチ狂ってた記録と感想

 

忘備録兼ザファの雑多な感想。

ザファ終映後の9月ごろに書き始めて放置して、その後復活上映見てやっぱ円盤届く前にちゃんと感想書きたいなと思い、追記したのでなんか統一されてない文章になってます。

14回観た記録

初見時の感想

5月上旬に折角だし映画館で観るかぐらいの軽い気持ちで観に行って、衝撃を受けて帰ってきました。いま読み返すとド嵌りとかトチ狂った感は感じない文章だけど(多分)、この時点で既にトチ狂っていました。

 

2回目

初見の5日後に観に行ってました。既に半年上映されており普通に考えてもう終映だろうと思っていました。「re:SOURCE」を読むとこれからSECONDが作成されるとか、ましてや続編が作られるという可能性は無きに等しい印象を受けたので、SLAM DUNKに熱狂出来るなんてもう本当に最後のチャンスなんだろうな、と思いました。
号泣するストーリーと衝撃を受ける映像が奇跡のように両立した作品に出会えるなんて、もう感受性がすり減った自分の人生ではこれから先ないのかもしれない。
他人が何を言おうが、自分は間違いなく面白いと思える作品。
そんな作品に出会えた今、狂わなかったらいつ狂うんだ?
吉田松陰だって「諸君、狂いたまえ」と言っている。
もう何も考えずに狂ってもいいのではないか?
そう思って3回目を観に行きました。

 

3回目

ある意味、この3回目が決定打でした。
原作読んでから初めてのザファということでぼんやりとしていたキャラクター達がしっかりとした背景持っていると知って改めて輪郭がハッキリとした中で鑑賞することができました。
原作に描かれた試合内容も分かる。
1・2回目は宮城リョータとその家族の物語に霞んでいたけど、今回は湘北メンバーがちゃんと理解できる。
結局ザファは14回観に行ったのですが、この3回目が一番泣きました。それも1・2回目は冒頭のソーちゃんを失った家族の悲しみきっかけで泣いていたのが、この3回目はそこでは涙が出てこず、「やっぱ3回目ともなると慣れるんだなー」と思ってましたが、今度は赤木キャプテンこと、ゴリに感情移入して号泣してしまいました。
3年生の先輩には疎まれ、自分の理想を他の部員に押し付ける形となる日々は長く、河田との接触シーンでかつて自分を疎ましく思っていた竹中先輩とかつて自分が傷付けた幻影達からその事実を辛辣に突き付けられ、傷心を振り払うかのように拒否して目を覚ますと、桜木、流川、宮城、三井が自分を見下ろしている。手を伸ばした三井が自分を引っ張り上げることができず、同じ床の上に転がった後、桜木、宮城が手を伸ばしてくれ立ち上がると、流川がいつもの生意気そうな顔で自分を見ている。ここはずっと憧れたIHの夢にまでみた山王戦。
ずっと欲しかった志を同じとする仲間はすぐ近くにいる。
「ああ、俺の願いはもう叶えられている」とモノローグを聞いて、ビックリする程号泣したし、「ずっとこんな仲間が欲しかったんだよな、赤木」ってメガネ君の台詞を思い浮かべて、また泣いてました。なんかここから自分がメガネ君になったような気持ち(?)で観てて、涙腺壊れたかのようにまじでラストまでずっと泣きながら観てました。今思い返しても本当にビックリするぐらいずっと泣いてました。
エンドロールで「原作・脚本・監督 井上雄彦」の文字を観た瞬間、「神」と見えてしまった。
私が神と崇める漫画家は許斐武ただ一人と思っていたけれど、もう一人神様が増えてしまった。

そして、目元をグチャグチャのまま映画館を後にしながら「狂おう、」と心に決めました。

 

4回目

初めてIMAXで観ました。
初めてのIMAXは「デカっ、」と驚いたんですが、冒頭はあまりの画面の大きさに少し酔いました。4回目でも相変わらず泣いててアイメイクボロボロにしてたので、この時、毎回アイシャドウが飛散してるの嫌過ぎるので「マツエクにしよう」と決めて、マツエクしてきました。ザファきっかけでマツエク。マツエクする理由としてトンチキ過ぎるだろう。。
そしてこの回ぐらいから台詞をうろ覚えながら記憶していたような気がします。
これは私の記憶力がいいとかそういうことではなくて、あまりにも有名な台詞、そして頭に残りやすい台詞のオンパレードだったからだと思います。
余談なのですが、私が「鬼滅の刃」で凄いなと思うところは作者の言語能力なんですよね。必殺技とか語尾を如何にも漫画っぽくするでもないのに「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった」と印象的で自然と頭に残る言葉を作中に幾つも幾つも残していて。そんな台詞は考えても思いつくものでもないし、センスがないと出来ないことだと思います。
井上先生も同じく言語能力が高く「バスケがしたいです」や「諦めたらそこで試合終了ですよ」とスラダンを知らなくても聞いたことがある名台詞をバンバン残していて、今回も「俺に必要な経験をください」と捻ってる訳でもなくごく自然な言葉なのに物語と相まって印象的な台詞になるというのが多々見受けられた気がします。

 

5回目

お台場まで足を運んで爆音映画祭のザファを観てきました。
爆音で観た感想は
・波とか風とか自然の音がはっきり聞こえる
・山王の応援の迫力が凄い。メッチャ圧を感じる。
・バッシュやドリブルの音の大きさが凄い。
・虫の鳴き声うっさい。
・床バンっにいっつもビクッとなる。
でした。ちなみに一番印象深かったのは山王の応援の圧と思いきや、リョータとアヤちゃんが良い雰囲気で話してる最中の虫の鳴き声でした。二人の会話聞こえないぐらいにうるさくて、「この場面ではその臨場感は要らないんだけどな。」と思ってました。
でも滅多に映画を観ない人間なのにザファにはまって、わざわざお台場まで行ってこういったお祭りに参加してるのが凄い新鮮でした。楽しかったです。
復活上映を観た今は凄く爆音で観たくなりましたね。また驚くほど大きい音の、あの床バンっ!!!を聞きたい。

 

6回目

相変わらず地元の映画館で観たのですが、こちらもある意味分岐点の鑑賞でした。というのは流石に観客数に合わせて上映スクリーンのサイズを変えてきたので、少し小さなスクリーンだったんですね。
それが物足りなくて物足りなくて、いやザファはおっきいスクリーンで観たいんだ、こんなサイズでは物足りない!!!と思い、ここから「映画館で観れればいい」から「出来るだけスクリーンのサイズが大きい映画館で観たい」という欲が湧き出ました。
4回目観戦時に画面大き過ぎると酔うなとか感想持ったことは忘れました。大きいスクリーンで観たい。
まさか自分が都内の映画館のスクリーンのサイズ調べて万全の映画鑑賞に備えるようになるとは思わなかったです。なんというかここら辺からトチ狂い方にギアを上げだしてきたような気がします。

 

7回目

地元の映画館を卒業し、まだ収容人数の大きな劇場で上演している映画館をチョイスしていったのですが、ここで気づいてしまいました。この映画館、音がいい。というか多分近所の映画館の音響がそんな良くない。これ普段映画みない自分にとっては驚きで、「映画館によって音って違うの?」と映画好きの友人に聞いたら「当たり前じゃん。何言ってるの??」と非常にビックリされてしまい、「常識なのか??」とこっちもビックリしました。
ここからスクリーンの大きさだけじゃない、音響も大事なんやと音響の良い映画館を検索しまくる日々が始まりました。
ただこれは検索しまくった割に結局は行かなかったというオチとなってしまいました。これはねーコロナになってしまったので、10日間ぐらい外出できなかったのが大きかったです。あと推しの舞台と被ってたんで、そこで動けなかったのもちょっと影響あったかな。音響良いという噂の映画館だったり、それこそ湘南の映画館で観てみたかったけど、これはもうしょうがないなーと納得はしてます。
余談ですが、この頃から宮城家のお米がゴミ箱の横に置かれてることが非常に気になり出しました。

 

8回目

7月31日でした。
Yes!宮城兄弟の誕生日!
初めての応援上映に行ってきました。まさか自分が応援上映に参加するとは。。。

山王女子に囲まれてました。今でも印象深い。
ちなみにガチで応援上映がどんなもんか分かっていなかったので、初めて参加してこんなもんか、と思ってたのですが、割と上映館の中でも野次や大喜利系が多くて苦言を呈されている映画館だったぽいです。
この応援上映は初め運営が理想としていたように試合のシーンで選手に応援をするという状況ではなかったけれど、元々、所謂応援上映を加味して作成された映画(推しキャラに愛を叫んでもいいライブを中心とした映画)ではないことを考えると運営が想定したルールに沿わない客が出てきてしまうのはしょうがないことなのかなとも思うのです。
いま、ゲ謎でもこの応援上映での野次やヘイト発言が問題になってるっぽいのですが、「こういうことを言ってはいけない」と言われなければ分からない客もいることは確かだし、内容が同じでも表現の仕方によってOK、NGが出てきてしまうのは難しい問題だよなと思います。
例えば大喜利系も叫ぶべきじゃないという人もいるのは重々承知してるんですが、冒頭でソーちゃんが呼ばれた時に「呼ばないでー」や「行かないでー」とは実際に叫ぶか叫ばないかは置いといて叫びたくなる気持ちも分かるしな、と。。。
あからさまな野次やヘイト発言はもちろんNGなのですが、それ以外の線引きの難しい発言に関しては不快に思うかどうかはやっぱ人によって色々違うしなー、と思ってしまいます。でも応援上映を続けたことで観客がエスカレートして公式が正式に注意喚起をするのはやっぱり好ましくないと思いますので、そうなる前にもっと良い形での着地点が見つかっていればなと今でも思います。
となんか苦言を呈するような書き方になったのですが、それでも個人的に応援上映には行って良かったと思います。
宮城兄弟のお誕生日には絶対に映画館に行こうと思っていたのでそれがたまたま応援上映だっただけだし。あと字幕が出たのが嬉しかったです。助かりました。バスケの専門用語を理解していなかったので、字幕で見て初めてああこう言ってたんだと理解出来た箇所もあったので良かったです。

 

9回目

8月3日11時30分。
Yes!山王戦!!
広島に足を運んで観るということもなく都内での観戦だったけど、多分この映画のファンが一番盛り上がる日を試合と同時刻に観るなんてもう経験できないかもしれない(いや私は今年も8月3日に復活上映して欲しいのですが)
絶対に行くしかないと有給取っていってきました。
7月31日も勿論映画の中で描かれる大事な日には違いないのですが、8月3日11時30分の回を取ってわざわざ観に来るなんて熱狂的なファンしか居ない訳で、あの山王戦を観戦するんだという意気込みに満ちた空間だったと思います。ラストのサイレントシーンの集中の仕方がやっぱり段違いだったなと思います。

 

10回目

湘北の声優さんと井上先生の座談会。
これも会社休んだ気がするw
なんか隣席の方が本編の時は空席で「来ないのかな?」とか思ってたら座談会始まるギリギリに着席されて「座談会だけ来るってことは声優さんのファンなのかな?」とか思ってたんですが、座談会終了後おそらく友人である方に「大丈夫?」って声を掛けられてスマホ見ながら「会社から凄い連絡来てる、、」って絞り出すように項垂れながら零してたので熱狂的なファンだったようです。疑ってすみませんでした。
この座談会で井上先生がザファは漫画の「SLAM DUNK」という根っこ(幹だったかな?)から繋がって伸び出た枝みたいな話をしていて凄く面白かったです。
ここから先、井上先生について色々と書きたいことがあり、書いては消し書いては消しを繰り返して、ああ書かない方がいいな、と思いました。ただ単に作品を創ってくれたことへの感謝なのですが、ちょっとご本人の気持ちを窺い知るようか書き方で、でも本当の気持ちは本人しか分からないし、それを外野が感謝を伝えたい気持ちがあるとはいえ、ツラツラ書くのは失礼だなと思い、書くのは控えようと思いました。
ここまで書いといて何だいって話なんですが、書かないから想いがない訳ではないし、でも書かなければその想いの在処は分からないし、そしてまたいつかこの文章を読み返した時、私だけがその想いを思い出せればいい、と思って書き残しておきます。

 

11回目

解説実況コメンタリーを聞きました。
あのOPで選手紹介するのとってもとっても感動してしまって、初めてOPで泣いてしまいました。この解説実況コメンタリーはバスケ詳しくない人間からすると凄く新鮮な情報を耳から入れながら映像見れたので凄く面白かったし良かったです。本当は円盤の特典に入れて欲しかったんですけどね、入るかな?と思ってたら入らなかったので残念でした。
花道が安西先生のほっぺ引っ張ってる「オヤジ、俺は?」「君はゴールに向かってダッシュだ」「おうよ」のシーンを「桜木選手は監督とじゃれてますね」「フフフ」と解説してるのを聞いて、私も「フフフ、」となってしまいました。

 

12回目

新宿バルト9Dolby Cinemaで観戦しました。
いや本当
LastGameでDolby Cinema復活してくれて良かったー。一回経験しときたかったので。
音が本当全然違ったんですが、一番印象深かったのが沖縄のミニバスのシーンで相手チームの関係者の「兄貴にはなれないさ、」の台詞がシアター内を巡るように放たれてそれが余韻のように残っていつもより凄い嫌な気持ちというか心に残ってしまいました。LastGame突入してたので私が観た回は上演後拍手が起こってました。もう熱心なファンしか観に来てないんだろうなとか思ってたのですが、帰り道に「メッチャ面白かった」と興奮してる人やツレにメチャメチャ質問してる人をチラホラ見かけたので、最後だから観に来た人も多かったのかな、と感慨深かったです。

13回目

もうここまで来たらこのお祭りに全部乗ってやろうと最後の応援上映に行きました。
応援上映の前は舞台観てました。今この写真見ながら思い出したんですがこのメガホン組み立てるのが本当難しくてまじで頭の中????状態にして何度もトライしたけど難しくてX(Twitter)に組み立て方を誰か記載してくれてないかな??って検索までして(検索結果は出なかった)上演直前に組み立てることができたことを思い出しました。

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14回目

8月31日に観る最後のザファをどこでみるか?
何となくここかな?というのを決めていたのですが、会員先行でSoldOutでした。
まあ最後にみんな見たいと思う映画館だと思ったのですがまさか会員先行で売り切れるとは思わず、どうするかなーと頭を抱えました。
個人的に下記希望がありました。
IMAXがいい
・その映画館最後の上映回
・上映終了時間が20~21時ぐらい
 (レイトショーで遅すぎるのはちょっと嫌だな、と)
しかし都内の映画館の上映情報を調べてもちょうど良いという映画館が見つからず、(IMAXを条件に入れるとどうしても上映館が少なくなってしまう。。)
どうするかな??と悩んでいた中、まあ一番条件に合うかな?と横浜ブルク13で最後の上映を観ることに決めました。
上記条件にはピッタリ当てはまっているけど、ネックは家からそこそこ遠いこと。
遠いというか帰りの時間考えたら22時終わりの都内映画館をチョイスした方がいいレベル。
どうしようかな??っと迷ったのですが、最終的にはラストザファの映画館として横浜ブルク13を選択しました。
舞台観劇の都合で遅れた夏休みを選択し、8月31日もお休みをとっていたので、折角神奈川県に行くんだから聖地巡礼をしよう。聖地巡礼をした後に映画館に行けば、敢えて遠い映画館を選んだ意味もあるし、丁度いいかな、と思いました。

という訳で映画の前に聖地巡礼に行ってきました。
聖地巡礼と言っても目的はあくまでザファなのでザファに影響があってはいけない。時間を気にしてバタバタするのは嫌だ、ということで訪れたのは一箇所だけ。
敢えて言うならスラダンというよりザファの聖地。
リョータと母親が和解する海岸のモデルとなった辻堂海岸です。
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辻堂駅から歩いて海岸に向かう途中、モデルとなった団地も勿論目に入ったのですが居住者がおられますので写真は撮ってないですし、詮索するようなこともしていません。
海に行くということ自体が何年振りだ??というレベルなので砂浜に足を踏み入れた瞬間、重ってビックリしました。リョータみたいに軽快に走れないし、熱砂を蹴り上げられない。。
あと海風凄くて砂が顔に引っ付き、髪は死んだ。。
映画では海側から海岸に座ってるカオルが印象的で背景はマンションが立ち並んでいる画ですが実際は海岸防災林として松が植えられていて、映画のまんまという印象ではなかったです。(もっと引きでみれば違うのかもしれませんが。。)
なので海岸から海を覗くと、わーあの画だ!と感動するのですが、振り返ると記憶の中の画と違うので、本当にここなのかな???と結構迷いました。(違う入り口から見れば違うのかな?位置が違うのかな?と結構混乱してました)
まだ時間もあったし、そこから徒歩で原作の最後に出てくる海岸にも行けたっぽいのですが、見知らぬ土地を歩き回って迷子になって本来の目的が果たされないのは嫌だと思い、素直に辻堂駅へ向かいそこから桜木町まで向かいました。
腹ごしらえをして、いざ、ラストザファ。

ラストザファの感想、というよりこんな何回も映画館に足を運び、最後の上映回を吟味して選び、という経験がなかったので、映画を観ながら「ああ、これが最後なんだ。もう映画館で観れないんだ、」と兎に角その感傷が出てきて仕方なかったです。
その感傷が爆発したのがエンドロールで、ああ本当にラストだと、自分でドン引くぐらい号泣してしまいました。
14回も見たエンドロール。
もう「神」としか読めない「原作・脚本・監督 井上雄彦」が視界から消えると、劇場内では拍手が起こりました。
館内は約8割ほど埋まっており、もうこの回にザファを観に来るなんてザファが大好きで何十回も観た人しか居ないじゃん。
同じ気持ちで映画館に足を運び、ラストを見届け、自然と沸き起こる拍手。
多分、あの空間に居た人たちも各地の映画館でラストザファを見届けた人たちも思いは一緒で、この素晴らしい映画を観れたこと、この素晴らしい映画を製作したスタッフ、そして神様に対する感謝の気持ちで拍手が沸き上がったんだろうな。

帰りはスマホを触らず、一切の情報を遮断してベネゼエラ戦を観て、映画さながらの劇的な勝利にまた涙が出てきました。

そして9月1日。
ザファが観れない世界に目覚めて、寂しくて泣いてしまった。
ああ、駆け抜けた、やれることは全部やった。
でも、今日から観れないんだと、なんとも言えない喪失感に見舞われました。
そんな傷心のファンを思ってか、神様からの粋なプレゼント。

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この広告を見た時、私は自分が確かに4か月間、ザファと共に在ったんだろうなと思いました。

 

好きなシーンや書きたいことをツラツラと

ソーちゃんは行方不明のままなのか?

私はこれはほぼ100%遺体が見つからなかったパターンだと思っています。
これは「re:SOURCE」で「泳ぎが上手かったよね。どこかの島まで泳いでいったかもしれんさぁ」とばあばに言われる絵コンテがあり、「ピアス」の中でも「まだ帰ってこない」とリョータが言っていることから「そう」なんだろうなと思ってます。
あと「もう帰ってくるな」=二度と帰ってこない=遺体すらも帰ってこなかったってことなのかな。
上記の情報を全く知らずに観てた時は、行方不明の為亡くなったと想定されるのか、遺体で見つかったのか、どっちとも取れるなと思ってたのですが、カオルが無言で海を見るシーンがあったのでやっぱり「遺体は見つかっていないのかな」と思いました。カオルが海を見てるシーン、モノローグがある訳ではないので、彼女がどうして湘南でも海を眺めていたのかと考えるとやっぱり其処にまだソーちゃんが居るからじゃないかな。
あと冒頭釣りに出る為クルーザーに乗り込み、遠ざかるエンジン音の中、リョータに「もう帰ってくるな」と叫ばれた時のソーちゃんの表情が無表情だったのが凄く印象的でした。普通拗ねて泣いてる弟にそう叫ばれたら、例えエンジン音で何を叫んでるかまでは聞こえなくても悲しそうなすまなそうな、もしくは怒った表情をすると思うんですね。でもあのシーンのソーちゃんは呆気にとられたような表情の乏しい顔をしてリョータを見ている。本当はもっと違う表情をしていたのかもしれない。でもいつものお兄ちゃんの顔ではなく、感情のない顔で遠ざかっていく。海に囚われもう動くことがないことを暗示するように。
ちなみに私は何となく父親も海の事故で亡くなって、多分漁師だったのかなと思ってます。もうこれは完璧に遺影からの想像という名の妄想なのですが。。あとカオルが「どうすればいいか分からん」とこぼしていたことから何となく突発的に亡くなったのかな?という印象を受けました。

 

湘北に入って良かった

あのシーン、石井君と同じく「私も湘北に入ってよかった」って泣いてるのですが、よくよく考えると別に入ってはいない。でも毎回見ても「入って良かった」って泣く。

 

観客

3回目ぐらいまで、内容も結末も知ってるにも関わらず、毎回中盤から一体どうやって湘北は勝つのだろうと思って観てたのですが、(沢北の「よーい、ドン」からの突き放され方を見ていつも「こっから湘北が勝てる??」と思いながら観てました)映画で試合を見ている観客の声が映画を観ている観客側の声を代弁してくれてるのがいいな、と思いました。
「湘北っていいチームだったな。」とか「あいつら本気で勝つ気だ!」とか。
湘北を応援したい気持ちはあるけど、山王が圧倒的に強すぎて(ジャイアントキリングが起こったら面白いけど)「やっぱ無理かな、」というスポーツ観戦をしていたら一度は経験したことがある心の変化を上手く言語化しているなと思いますし、言語化していてくれるから自然にスクリーンの中の試合にのめり込むことができたんだと思います。
ちなみに一番好きな観客の台詞は「持ちすぎだよ、11番」です。

 

忘れているのか、覚えているのか

初見時、神奈川に引っ越してきた中学生のリョータが周りに馴染めず一人でドリブルの練習をしている時、颯爽と現れた少年を見て、「み、……みつ…い??」と凄く衝撃的だったし、その後1 on 1に発展しリョータがソーちゃんと重ねてしまったシーンを見て、「お、お前、…お前、……」と言葉に出来ない程、心が痛くなってしまいました。
まずリョータが三井をソーちゃんに重ねたシーンが私は1~5回目ぐらいまでは凄い地獄だな、という感想を持ったんですね。
数年前、1 on 1を「もう一回やろ、」と誘った直後に呼びに来た友人に連れられて二度と戻らなくなった兄と、その兄を思い出してしまった直後に同じように兄を重ねた少年を呼びに来た友人。映画の中では描かれていないけどこのシーン、絶対にリョータはあの日友人が兄を呼びに来たことも思い出してると思うんですよね。
でもリョータは今日あった名前も知らない少年のことよりも自分の目の前から居なくなった兄のことを考えてしまう。
「ドリブル練習しろよ。」と言って自分を一人にした兄の代わりに
「一人でばっかやってたら折角のテクニックがもったいねぇぞ。」と自分に言う少年がいる。
私がここで地獄だなと思ったのは、この2人はここから仲良くなる展開があってもおかしくないのではないか?と思ってしまって、でも結局それから2人は再会することはなく、三井はバスケから道を逸れてしまうし、(三井の方が重症っぽいけど)リョータに暴力を振るうこととなる。
ここで2人が仲良くなればその道はあり得なかったのかなという「もしも」を考えてしまったが故に地獄だな、と思ったのですが、回数を重ねる内にここで描きたいのは、以前出会っていたのにお互いを傷つける存在になったということを描きたい訳ではないんだなと思いました。
私はリョータは三井と再会した時、あの時の少年と気付き、気付いたからこそ三井を挑発するような声をかけたと解釈しています。
お互い様相が変わってしまい、ましてやほんの数分、二言三言しか言葉を交わさなかった存在のことを覚えているのか、といえば普通に考えれば覚えていない気がするのですが、それでもリョータは覚えていて、あの沖縄から神奈川に引っ越して学校にも馴染めず孤独の中で、会いたくてもどうしても会えない思慕の念を募らせた兄と、重ねてしまったあの瞬間を、あの少年を忘れ得ぬ出来事人物として胸の奥に刻んでいたなら、覚えていたという解釈の方が自然なのかな、と。
別にあの時の三井に救われた訳ではないけど忘れられなかったという事実が、あの体育館襲撃事件を経て三井がバスケ部に復帰することを許すという選択を選ばせたのかな、と思ったんですね。
あと重ねた兄はどんなに望んでももうバスケは出来ないけど、三井は生きてるからバスケは出来るという思いもあったんじゃないかな。
三井はどうだろうな、そこに関しては受け取り手によって変わるのかなと思いつつ、あの時一人でバスケをしていた、そして恐らく三井の目にはそこまでバスケが上手い訳ではなかった小さな子供が自分が望んでいた「期待されているバスケ部の新人」の位置にいることがやっぱり宮城に執着せざるを得ない心境だったのかな、とも思います。
「re:SOURCE」の中で屋上での喧嘩シーンを自暴自棄になっている二人と表現しているのですが、本来の自分に戻るためにリョータは誰かを許すこと、三井は誰かに許されることが必要で、元に戻る為の存在として2人は無意識の内に出会っていたというエピソードが必要だったのかなと思います。
ただここまで書いといてなんなんですが、リョータは沖縄で自力で吹っ切れてるので、主に三井が立ち直るのに必要なエピソードだったような気もします。なんなんだ、お前。。

余談ですが、この中1のシーンから高校生になって湘北でバスケをしているシーンまでワープするように描かれてなくて、あのグレそうな環境の中、中学でバスケ部にも入っていないように見える中、どうやってあの体育館での練習シーンに行くんだよって毎回心の中で違和感が生じるのですが、多分体育の授業でバスケをして同じクラスの安田君に「宮城君、バスケ上手いね、」って声かけられて(リョータにとっては「バスケ上手いね、」はとんでもない自己肯定を高める言葉だと思うので)そこからちょっとずつ会話をしていって、遅れてバスケ部に入ってそこから旧友達に馴染んでいったのかなと思います。描かれてないヤスの役割大き過ぎる気がするんですが、そうしないと中学生からグレててもおかしくないから、ヤスが何とかしてくれたんだよ、きっと。

 

「お前と喋るの初めてじゃね?」

応援上映の時、「あるよー!」「結構あるよー!!」の叫び声が飛んだのが印象的でした。流川に関しては初回まじで「空気だな、」と思ったんですが、多分3回目ぐらいから「あー、ちゃんと湘北5人はスポットライト当たってるんだ」「流川も活躍してるな」と思ったんですが、流川が宮城の人生に関わってこない所為で、バスケで活躍しているシーンしか印象がない。いやバスケ漫画なんだからそれが正しいんだけど。。。
あと流川で一番印象深いの最後の花道とタッチを交わすシーンだけど、あれはもう流川だけじゃなくて作品として印象深いシーンになってしまうからな。。

 

声優さんについて

私はスラダンのアニメを見たことはあるけど思い入れもない人間だし、声優交代劇で荒れたことも後から知った人間なので、そもそも旧声優さんと比べてはいないので、何かを言うことはないのですが、初見時花道だけがこんな感じなのかー、ちょっと違うかなーとちょっとシックリこなかったですが、3~4回目ぐらいからピタッと来ました。個人的に「かえせ」のシーンの声が浮く演技が不気味さを感じて衝撃が強かったです。多分、あそこが花道の声として一番合っていないように感じるし、違和感を持ってしまうのですが、そのことで印象的なシーン且つ、花道の何をしでかすか分からない不気味さとバスケへの執着を表していて好きというか記憶に残るシーンというか、演技だと思います。

 

花道の回想

花道の友人を演じていた声優さん達の座談会で花道の回想での「2万本のシュート練習シーン」の映像を見ると「収録してないけど収録した気がする」とおっしゃっていたのですが、私もあそこのシーン、アニメ見てないけど見た気がするという気になります。本当に初見がほぼ知識がない状態で行ったので、観劇後、リョータのことで頭がいっぱいで他のメンバーのことが考えられなかったのですが、回を重ねるごとに他のメンバーに目が行くようになり、花道の回想のシーンで「ああこういうエピソードあったな」ぐらいの感想だったのに、原作を読んだこともあって明確に「そう、……こうだったよな。」と感情移入しまくりで観に行けば観に行く程、涙の量が増えてったシーンです。
それにしてもあの後に「大好きです。今度は嘘じゃないっす」のシーン入れないの本当凄いなと思います。勿論今回の主役は宮城リョータなのであの台詞を入れてしまうと主役が花道にぶれてしまう可能性があるので、入れないという選択をしたんだろうけど、それでも入れたくなるじゃないですか。尚且つ、ファンが観たいと思うシーンじゃないですが、それを入れないという選択をするのが本当に凄い。

 

アンナ

思えば初見時に初めて涙を流したシーンはアンナの「違うのよ。ソーちゃんは遠い島でひとりで暮らしているの、今」だった。その台詞はソーちゃんの死を劇中でハッキリと観客に示したものだったから。勿論、原作で一切触れたことのない兄。「もう帰ってくるな」という分かりやすい死亡フラグ。ロッカーの前の「いってくる」で本当に帰ってこなかったことは暗示されていたけど、「(あり得ないけれど)でもなんか凄いどんでん返し(?)で生きてましたというオチとかあったりしない??実は、とかない??」という微かな希望をあの台詞が断ち切った形になり、それを「兄の死」を受け入れられないだろうと大人によって配慮された嘘を信じ込んで、逆に大人に教えようとしてる少女の台詞で示している。こんな残酷な明示はない。
アンナ自体出番の多いキャラではないし、台詞自体も少ない。
でもその少ない台詞で観客にとんでもないインパクトを残したのが演者である久野美咲さんのお芝居だ。
私はあまりアニメを見る方ではないし、洋画も字幕で見る人なので声優さんについて詳しくない為、(湘北5人も木村昴さんしか知らず、その彼も本業のお芝居よりもどちらかというとバラエティで見たことがあるぐらいでした)彼女のことは存じ上げなかったのですが、初見から凄くお芝居の上手い人だなと思いました。台詞だけでなく団地で上げる笑い声やラスト、りょーたにじゃれつく時の声などのお芝居がまあ本当に凄い上手というか、一瞬なのにインパクトがありました。声優さんにお芝居上手いですね、って莫迦の感想感が凄いですが。。
「写真飾ろうよ、ソーちゃんの。顔忘れちゃう」
アンナの年齢は明らかにされてないけど多分、リョータの2~3個下でソーちゃんが亡くなった時は恐らく就学前後でそれぐらいの年の子の記憶力ってどれぐらいなんだろう。自分の記憶を辿れば、凄くハッキリ覚えていることもあるけど、逆にそれ以外のことは全然覚えていなくて、アンナがソーちゃんの顔を忘れてしまった訳ではないだろうけど、それでもカオルやリョータに比べれば顔の輪郭はもしかしたら少しぼんやりしていたのかもしれない。2人を見兼ねての台詞のようでアンナ自身の希望が感じられるあのお芝居が本当に凄いなと思いました。
「生きてたらね、」
私はミュージカルを観る人間なのですが、あまり役者さんのパーソナリティや演技論や芝居のプランを知りたくなくて、(パンフとかでご立派なこと語られてても全然伝わらない時とかあると、演者に表現力が足りてないのかその表現を感じ取る力が自分にないのか分からなくなり、純粋に舞台を楽しめなくなるので苦手)配信の座談会も出来るだけ見たんですがちょっと苦手だなと感じるところも本当にちょっとだけあったのですが、久野さんの「(カオルとリョータの)2人は磁石の同じ極みたい。思いあってるのに近づくと反発してしまう」という発言が凄く納得したというか、腑に落ちたというか、その2人の間にいて完璧に離れないように繋いでいる役というのをこんなにも素敵な言葉で表現される人なんだと、感性が素晴らしいなと思いました。
「ずっと3歳差、とっくに追い越してるのにね。」
母親に亡き兄のことを忘れて欲しい訳ではないけれど、それでも部活のIHに出場するという一大イベントの前日、それも本人の誕生日に背を向け洗い物をし、無関心を装っているように見える母に、目の前にいるのは生きている兄で時が止まった兄ではないと告げるさりげなくも宮城家にとっては大きな台詞を「まるで磁石みたい」と表現する感性の声優さんが演じることで私も画面の中のカオルとリョータと同じ顔になってハッと気付かされました。本当に素敵なお芝居だったと思います。ここまで書いてもう私は久野さんにファンレターを書くべきなのでは??という気持ちになってます。多分お芝居という意味で一番心に残ったのはアンナの台詞だったので。

 

カオル

沖縄のミニバスからリョータがソーちゃんの部屋に籠ってバスケ雑誌を見ながら自分の姿に重ねるシーンが凄く好きであり、(あそこのシーンは兎に角音楽が美しくて)涙腺を大変に刺激されるので観劇時泣いてる確率が高いのですが、あそこでカオルが「ああもう片付けようと思って」と無造作にソーちゃんの遺品を段ボールにしまうシーンでいつも幼いリョータに「違うんだ。別にソーちゃんのことを忘れたい訳でも無かったことにしたい訳でもなくて、ずっと傍にあるとどうしても比べてしまうからけじめとして遠ざけようとしてるだけなんだ、」と心の中で叫んでました。
昔、オンラインでカウンセラーの講演会(?)セミナー(?)に参加した時、質問で「母が兄ばかり可愛がって辛い。どうしたら母に愛されますか?」というのがあったのですが解答として「それはしょうがないです。どうしても相性というのは出てきますから。でもね、それを表に出してはダメなの。表に出した時点で母親として問題なの」でした。世の中は母親は子供を無条件で可愛がるとされているけど母親も子供もそれぞれ別の人間だし合う合わないはそりゃあ出てくるよな、と身に染みて実感したのですが(勿論、解答されたカウンセラーの方と同じく表に出す時点で母親としてどうかと思うけど、心の内だけは自由で居て欲しいなと思います。表に出した時点でクソだけど)
カオルも別にソーちゃんの方が体格に恵まれてるとかバスケの才能に恵まれてるから可愛いという訳ではなく、居なくなってもう会えない存在としてどうしても特別になってしまったことは否めないと思うんですよ。どれだけリョータやアンナが可愛くても。
比較する気はない。でも同じ男の子でバスケをしてるとどうしても比べてしまう。その心が自分にも子供にも良くないと分かっているから、遺品を目に触れないところに仕舞いたいし、そこらかしかに残ってるソータとそして旦那の思い出の家から、土地から遠くに行きたい。そう思うのは私はとても自然なことのように思いました。
それでも忘れることは出来ないから、遠い彼が居なくなった場所に繋がる海を眺める。
ノローグは要らない。
ただそのシーンだけで、波の音だけで痛いほどに伝わりました。
そういえばなんとなくですが、私はカオルは神奈川出身で、ずっと嫁ぎ先の沖縄で頑張っていたけど、あのミニバスの試合の日に頑張っていた糸が切れてしまって実家を頼って神奈川に引っ越してきたと勝手にそう想像しています。

 

Silent

終盤に向けてのサイレントシーンが有名(?)なザファですが、実はところどころに無音なシーンがあってその度に身が引き締まるような気持ちになって集中力高めて観てました。初見の感想時にも書いたのですが、ザファを映画館で観る理由ってリアルな試合映像を大画面で観たいからというのともう一つ、満員の観客の中、観客が物音一つ発せられないほど集中力を高めて映像に陥る一体感のような感覚があまりにも特別で非日常で、それは家で一人で見ても誰かとみても味わえない、映画館でしか味わえない感覚と分かっているから何回も何回も映画館に足を運んだんだろうなと思います。
映画冒頭、泣いている母親の背中に「俺がこの家のキャプテンになるよ」と声を掛けた頼もしい兄は(母親には気丈に振舞っても心の中では)本当は泣いていて、あの時はどうすることも出来ずただ妹と一緒に眺めることしかできなかったリョータが8年経って当時の兄の身長に追いついて、もう兄は母に何かをすることは出来ないけど、8年経った今なら当時出来なかった悲しみに暮れている母親を抱きしめることが出来る。
初見時、このサイレントシーンを見た時、「ああ、今とても美しいシーンを観てる。…多分、特別な美しさだ、」とピッタリと腑に落ちるようにこの映画が特別だと分かった瞬間があったんです。その後の試合のあの有名なシーンはまだ見ていないのに、この映画は本当に凄くて特別な映画だと頭ではなく感覚で理解しました。

 

ピッタリじゃん、切り込み隊長

初見時、彩子さんのこと2年生か3年生か分からず見ていたので原作読んで2年生と知り驚きました。3年生顔(?)っぽいのに。
改めて原作読んでザファ見ると、彩子さんのことを「アヤちゃん」と呼んでないし、リョータが彩子さんのことを好きと捉えられる描写が恐ろしい程少ない。
勿論、山王戦前夜の二人きりの会話、手のひらに「No.1 ガード」と書く描写(あれ彩子さんリョータへの向きが正として「No.1 ガード」書いてるのでよく反対側から書けるなと毎回感心してます)から二人の気持ちを描いては居るけれど原作基準では物足りないし、改めて映画の中でリョータを主役として描くなら彩子さんとの関係も、どんなアプローチでも描ける筈なのにそれをしなかった。原作では描かれなかった山王戦前夜の出来事が明確に描かれたけど、原作の浮かれ具合に比べるとシリアスな描き方になっている。もっと二人の関係を別方向から描くことも十分にできた筈なのにしなかった。だって「THE FIRST SLAM DUNK」は宮城リョータが胸に秘めていた過去のわだかまりと決別する物語だから。
それでも描きたくなるし、描いたらファンは喜ぶ。
でもそれをしない。描かないという選択を出来るところが本当に凄いと思います。
ミュージカルや舞台を見た時、よくキャラクターに属性乗せすぎでは?とかそのエピソード居る??と思うシーンがあるんですが、分かるんですよ。描きたくなる気持ちも演者に美味しい特徴があればそれに沿った物語が展開され演技が観れるからオタクは単純に喜ぶんでしょと制作側に思われてるっぽいことも。個人的には普通に物語の出来を優先するし、過剰な設定はドン引きします。
あと私はそれをされると物語の軸がブレるからやめて欲しいと思うタイプなんですよ。
軸というのはキャラクターではなく、この物語で一体何を言いたいのか伝えたいのか、何を主軸にしたいのかというのが伝わって欲しいんですよ。
あっちもこっちもと手を出し過ぎた挙句、何を伝えたかったのか分からない作品のまあ多いこと。
そんな中、リョータと彩子さんとのことを描ける状況であるけど描かなかった井上先生のまあ凄いこと。そこに色気を出してしまうと、ソーちゃんのことも湘北のこともIHのことも若干薄れてしまいますものね。「THE FIRST SLAM DUNK」はあくまでリョータが過去のしがらみからバスケで一歩踏み出す物語でそこにアヤちゃんとの物語はお菓子に入れる数的のバニラエッセンスとしては必要だけどメインになってはいけない。でも昔からのファンが知りたかった真相は明かされるという憎い展開になっていると思います。
もう一つ、カオルが勇気を出してIH会場まで足を運び、本当は今までずっと声を掛けたかった、手を差し伸べたかったというシーンを見せて、ようやく叫べたけれど、それでも今のリョータに必要なのは、届いたのは、アヤちゃんの「いけ!リョータ!!」の叫び声というのが本当に凄い演出だと思います。
母親の声が必要な時は過ぎ、それでも母は声を届け、でも届いたのは想いを寄せる人の精一杯の声援。
彩子さんとリョータの関係がこの「THE FIRST SLAM DUNK」で明確に描かれていないように思われる方がいるかもしれませんが、でも私はあのシーンで充分に描かれていたかなと思います。
リョータに今必要な言葉、切っ掛け、声として。

 

 

宮城リョータ

カオルへの手紙でいつも引っ掛かる言葉があってそれはIHを「ソーちゃんが立つ筈だった場所」と表している箇所です。
なんていうか団体競技の高校生の全国大会なんて自分ひとりの力で立てる筈もなく、スラダンの世界では明らかにIH出場を決めたのはリョータ以外の4人の力が必要だったし、出場できるとなった時に「メンバーのお陰で」や「全員で勝ち取った」という心境になる筈なのに、実際にその場に立つとなった時、自分よりもバスケの才能があって当たり前のように立つ筈だった兄の存在を母への手紙に書くことが私は本当に凄く切なくて辛かった。IHに行けるのはリョータがどんな状況になろうとバスケを諦めなかったからと湘北バスケ部員の力でそこにソーちゃんは一切絡まないのに、でもずっとリョータにとってはどんなにバスケを頑張ってもソーちゃんの方が上手かったという気持ちが心を覆うし、トーナメントを勝ち進んでもソーちゃんなら当たり前に勝ってたというへりくだりの気持ちを持ってしまうことを、あの母親への手紙の一文で感じ取ってしまって、このどんなに自分の好きなスポーツをやっていても8年も前に居なくなってしまった兄の、とっくに追い越してる存在を、ずっと超えられない、超えちゃいけないと思ってリョータが生きてきたとあの一文から察して、本当毎回とんでもなく泣いてたし、思い出して今も泣いてしまいます。
あの沖縄の秘密基地で「最強山王を倒したー」と無邪気に笑う兄が想像した高校生の姿がきっとリョータが思い描ける最大の成長した兄の姿で、最強山王を倒した後の兄の姿はもう思い描けない。
ラスト、アメリカの大学で沢北と対戦する宮城リョータの姿を見てきっと原作ファンは「流川じゃないの??」(もしくは花道)と思ったかもしれませんが、兄が想像した「最強山王を倒す」という夢の先、兄が思い描けなかった姿をリョータ自身が選び、足を進めたならこれ以上ない美しいシーンだと思います。
高校2年生の時よりも日焼けし、ガタイがよくなり、伸びた手足。
かつて対戦した忘れがたい対戦相手。
バックバクの心臓を平気なフリで誤魔化して、得意なドリブルで向かう。
画面いっぱいに広がる井上雄彦の一枚画。
最高。
ザファで一番大好きな絵。
宮城リョータが主人公の映画で、これ以上の最高のラストがあるだろうか。
またこの宮城リョータアメリカの大学に留学しているというラストは、スラムダンク奨学金第一号生が沖縄出身のPGだったということも関係していると聞いたことがあります。
私はそのことを知った時、
改めて連載当時では日本の誰も描けなかったプロのバスケットプレーヤーになるということが日本でも叶えられる26年後にSLAM DUNKのキャラクターが生きている意味はあるのだなと思いました。
普段はゆるいドメサカ民でもあるのですが、サッカー日本代表の森保監督と同年代の監督が応援してるチームの監督になった時、ユース上がりの高卒でトップチームに昇格を果たした選手にクラブの監督から「自分が君たちの年代のころにはJリーグはなくて、プロとしてスタートを切れなかった。だから今この年代でプロとして生活できることのありがたみを感じて欲しい(意訳)」と言われましと彼らはいい、「凄くありがたいな、と思います」と応えていたけれど多分本当の心意までは伝わることは難しいんだろうなと思いました。勿論、彼らも自国にプロリーグがあり、クラブのユースとしてその恩恵を受け、選ばれしストレート昇格を果たし、プロとしての人生をスタートを切れる幸運と自身の才能に誇りを持っているだろうけど、自国にプロリーグもなく弱小国として存在していた昔の日本サッカーの惨めさや悔しさは実感としてどうしても持てないんだろうなと思います。
それはバスケも同じでそのスポーツを愛しずっと続けたいと思っても続けてもお金にならないというのは、高校や大学で止める選択肢を選ぶ人が多く、どれだけ才能があって続けてもそれで生活できないというのはモチベーションが保つことは難しい。
他国ではバスケ一本で生活が出来るのにという思いもあるけれど、他国に渡ってプロ選手とやっていくのは本当に才能のある選手以外は難しい。ましてや体格が才能の一つになってしまうバスケットでは特に。
(余談ですが私は野球が日本で広まって人気あるのは凄く分かるなと思う人間なんですよ。なんていうか野球って勿論打ったり投げたりするのに体格があったら有利というのはあると思うんですが、道具を使うので器用さということが求められるので、日本人にあってたのかなって)
あと私は当時のバスケットボール連盟のゴタゴタをリアルタイムで知る人間ではないのですが、まあまとめられた記事を今読んでもそりゃあ閉塞感が漂うよな、と。。。
そんなどうしようならない時期を経て、日本にプロリーグが出来て日本でプロバスケットプレーヤーになることが出来るという環境で、井上先生が宮城リョータに改めて対話した結果、アメリカに行ってバスケがしたいという希望だったのはやっぱり26年前の環境では出てこなかった彼の希望かな、と思います。
本当のことは勿論井上先生しか知らないけど。
それでも私はザファの宮城リョータは、アメリカにバスケ留学している宮城リョータは、1996年では描けなかった姿だと思いますし、バスケ人気に火をつけた漫画が蒔いた種が日本バスケ代表のパリ五輪自力出場権獲得という結果をもたらしたように連載当時、灯された火が決して消えなかった結果だなと思います。
IHで最強山王を倒すことを目標にしていたソーちゃんが描けなかったアメリカ留学もその先の未来も全部全部リョータが選べるんだと、そして選んだんだと。
文字にして改めてやっぱりあのラストが最高でこれ以上はないと思います。

 

グッズについて

まあ兎にも角にも、上映開始から半年近く経ってから見始めたのでグッズなんて何一つない状態で、ただ自分がそこまでグッズを集めたいと思わない人間なので、まあ買えなくてもしょうがないな、とそこまで執着を持たずにいました。映画館でパンフレットとあと当時、映画仕様のTシャツのLサイズが東映AnimationStoreで残ってたので、記念にと思って購入しました。Lサイズは自分にはデカかったです。本音を言えば、ポスター(B2)とフーディーが欲しかったんですが、それはもう無理だよな。しょうがないな、とグッズ関係に関しては諦めていたら、まさかの8月1日にドリンクホルダーの再販。すっごい可愛いし欲しいなーと思いました(何回目かの時に持ってる人を見かけて、あれ何のグッズだろ、可愛いなーと心の何処かで気になっていたので)。しかし平日。それもちょっと検索するとガチ勢の気合の入った呟きが目に入り、「これ始発で行って買って始業前までに帰ってこれるのだろうか??」とどうしても確信を持てなかったので諦めました。朝起きると、トレンド入りするドリホルの文字、転売ヤーとの闘い、ポップコーン付きセットじゃないと販売していない系列の映画館の存在、最寄りの映画館を検索すると発売開始30分後に売り切れていたらしい。(無理だよ。)
(大人だし、そんなグッズぐらいでね)と諦めて仕事するかとPCを立ち上げながら後ろ髪を引かれて最後の検索をしてると往復1時間で帰ってこれる映画館にまだあるよとの呟き。時刻は9時30分。恐らく絶対に買いたいと思っていた人達は買えているだろうし、今の時間、学校・会社に向かった人が大半。今この時刻で残っているということはここからこの呟きを見つけた買えなかった人が大量に向かわない限り、あと数時間売れ残ってる可能性が高い。「えっ??どうする??」と数秒悩んだ末、会社のフレックス制度を使用する選択をしていました。往復1時間なら購入時間込みで2時間あれば余裕。お昼休みを利用すれば1時間の中抜けで行ける!!!(ちなみに自分の名誉(?)の為に書き記すのですが中抜けやフレックスは同僚もよく使ってる制度且つ、当日の業務に差し支えなければ直前使用でも問題ないので我が部署においては非常識な行動という訳ではないです(勿論理由を言う必要もなし))
そっからスマホは一切見ず真剣に仕事して時間になったら急いで飛び出しました。
移動中もスマホ見なかったのです。うっかり完売ですっていう文字を見てしまったらショック受けそうだし、もうここまで来たら(?)映画館で完売宣言を受けたいと思いました。
映画館の最寄り駅に着くと早歩きなのか走ってるのか分からない速度で歩いて映画館に向かい、売店のカウンターを目を凝らすように覗き見ると奥に真っ赤な物体が積まれてるのを見付かって、「あっ、あった」と心臓が少し早く走ったような気がしました。
映画館の売店でグッズを買うなんて初めてだからどうしていいか分からなかったけど、取り敢えず映画館に向かう足取りとは打って変わっておっかなびっくり足を進めて、売り子の人に「すみません、スラムダンクのドリンクホルダーってまだありますか?」と聞くと、「はい、」とメニュー表のようにドリホル表を出してくれて、「Sold Out」のテープが貼られた番号は幾つかあったけど、どうしても欲しかった「7番」はまだあって、「あの、7番で」「お幾つですか?」「1つで」「お飲み物は?」「アセロラドリンクで。……あと、袋お願いします」という会話を交わして、念願の「7番」のドリンクホルダーが手に入りました。
帰り道は相変わらずタイムリミットがあるので急ぎ足ではあるけど、手に入ったドリホルが嬉しすぎて顔を緩めながら甘酸っぱいアセロラドリンクを飲んで帰路につきました。
ちなみに私が買いに行った映画館は7番以外に10番はまだ残ってました。
この時、折角(?)だから10番も買っちゃう?とか思ったんですが、「いや、この後きっと10番が1番欲しい人が来る筈」と買わなかったです。今でも絶対に10番が欲しい人の手に渡っていたらいいなと思います。
個人的に買いに行くとき、残ってるかな?とドキドキしながらも「まあ11番や14番じゃないから大丈夫やろ」と思ってました。(実際には生産数の問題か4番が一番品薄だった模様)でも私は絶対に「…7番がいい」だったので、本当買えて嬉しかったです。
今は棚に飾ってますが、購入してから映画を観る時は絶対にドリホル持って行って映画館でジュース買って使用してました。
その後終映ギリギリでポスターの再販が決まって、「えっ??マジで??」と喜んで購入しました。額縁買って今も部屋の一番良い所に飾っています。

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グッズに関しては本当ドリホルとポスター手に入って満足と思っていたのですが、復活上映の日にいっちばん欲しかったと言っても過言ではないフーディーが復活してて、何も考えずにカートに入れて購入しました。
フーディーが買えてしまった。嬉しい。可愛い。嬉しい。
そしてフーディーが買えたことでミニウォールステッカー欲しかったなとかいう欲が芽生えてしまいました。。本当人間て欲深い生き物。いやでも上映開始から半年以上たってこれだけ買えたのは本当上出来だと思うし、これで満足しなきゃなと思ってます。
ちなみに私はミュージカル好きなのですが、コロナ禍での舞台製作会社のありように色々思うところがあり、そんな中、上映から半年たっても運営陣や声優さんの座談会を配信してファンの為にと動いて下さる姿を見たり、グッズに関しても本当に事あるごとに再販して全てのファンに行き渡らせようとするザファ運営の心意気が本当にありがたいと思うようになりました。勿論大ヒットして利益が出たからそれを実施する余裕があるということは大前提だけど、ファンを金づると見ず喜ばせたいと思って行動してくださる姿に本当に感激して、これを書いてる数日前に某ミュージカルが見通しの甘さで初日の幕を開けることができませんという大炎上を見て、更にザファの運営がどれだけありがたかったかが分かり、いても経ってもいられずTシャツを追いTしていました。
追いTってなんだよって話なんですが、元々購入してたLサイズがデカいんでMサイズ買うか迷ってったって話と、やっぱザファの正式なグッズ買えるのってこれがラストチャンスなんだよなって思ったんですよね。ラストなら後悔せずに買った方がいいんじゃない??って購入してました。
まだ届いてないのですが、これを着て夏にザファを観に行きたいので、是非、絶対に2024年8月3日も復活上映して欲しいと切に願います!!!

 

15回目

1月23日復活上映。
個人的には円盤発売の前にどこかで復活上映するだろうなと思っていました。
ワンピースやすずめの戸締まりが実施していたし、再上映すれば利益も出るだろうという大人の事情も加味して、と邪な気持ちで期待していたのですが蓋を開けてみれば1日限定で。まじか。。となりました。
本当にギリ定時退社が許される日だったけど、これが前後どちらかにズレてたら観に行けなかった可能性が高かったので、1日だけは辛いよ、社会人やその他融通効けない人のことも考えてくれよと思ったのですが、12月3日が上映開始日で1日限りの復活上映日が1月23日なのはとんでもない拘りを感じるし、その美学に基づいた作品でもあるので仕方がないな、と思いました。
というか来月には円盤届くし、お前ら劇場で散々観ただろいう運営からの声も聞こえなくはない。
15回目は安心安定の地元の映画館を選択しました。
発売日の12時ジャストにアクセスして少し待たされましたが席もほぼ理想通りの場所が取れたので安心して寝て、翌朝、そういえば都内とはいえ辺鄙な場所にある映画館だけど売り切れたりするのかな、とか思って映画館のHP観に行ったら19時の回は売り切れてました。凄い。10時の回はいつ売り切れたかは知らないですが、結局都内は10時・19時の回は完売したらしいので、なんというかファンの熱量を改めて感じました。
8月31日の終映から、ザファが観たいなーザファが観たいなーと思って過ごし、ザファについて考えて急に泣き出したり、紅白の10-FEET見て号泣したりと終映後も相変わらずザファ中心の生活を送っていて、今こんな状態でザファを観たらどうなってしまうんだろう???死んでしまうかもしれない??というメンタルでいたので、変なハイテンションで映画館に向かいました。
TOEI Animationのロゴ見たら泣き出すかもと思っていたのですが、結果は号泣ではなく(何故か今まで一回も泣かなかった「もう帰ってくるな」で泣いてしまっただけ)、SLAM DUNKって面白いな!という感想になりました。本当に単純に面白い映画だな、と。
あと時々、私は「今あんなに観たくて観たくて堪らなかったザファを観ている??」みたいな脳の混乱を起こしてました。

上映中、足繁く映画館に通っていた頃は多分宮城リョータの人生に捉われすぎて重く考えすぎて、純粋に山王戦を楽しめていなかったのかなと思います。
それが終映で一旦ザファを観ない日常を過ごして、ある意味自分にとって「THE FIRST SLAM DUNK」の結論が出て、そして改めて映画を観て、単純に「ああ、この映画面白いんだ、」という感想になりました。
面白いから何回も観れるし、もう一回観たいと思う。
もう一回観たいと思うから週末の度に映画館に足を運んでた。
運営の配信もこの映画をもっとよく知りたいやこの映画に携わった方々のことを知りたいと出来る限り追っかけたし、応援上映もこの映画を取り巻く空気感を味わいたいと思って参加した。
本当にこの映画が好きで、その好きをずっと保っていたいから4ヶ月間映画と取り巻く環境を追ってきたんだなと改めて思いました。
約5か月振りに映画を観て、「面白いな、」というシンプルな感想になったのは私にとってもうこれ以上ない答えのような気がします。
2月28日、円盤が手に入って家の小さなTVで再生した時、ああ大きい画面で見たいなと感想を抱いてしまうんじゃないかと少し不安だったのですが、きっとそんなことは思わない。
夢中になって画面を見つめ、1月23日の感想と同じように面白い!と満面の笑みで画面を見つめている。
個人的にはずっとやってみたかった飲酒しながらのザファを出来るのでそれがかなり楽しみです。酒の力を借りて脳のストッパーを外して物語に没頭した時、どんな感想を抱くのか楽しみです。
余談ですが、私にはもう一生観ることは叶わないけど、それでももう何年も観たいと切望しているミュージカル作品があるのですが、今回ザファを観た時、「私は今ザファを観ている??」と混乱した経験から、もう本当に二度と観ることは出来ないけど、もし観劇が叶った時、「私は今本当にあの夢にまでみた作品を観ている???」と脳が混乱を起こすことを理解出来たので、今後の予習(?)になりました。
あとSLAM DUNKファンは26年もずっと続編が観たいと望み、今回続編とはまた違ったSLAM DUNKを観れたので、私もその作品のことを一生観れないと諦めるのではなくまた何処かで必ず観れると望みを持っていようと思いました。

 

ああーー感想を書いた!
今までで一番長い感想じゃないかな。
1万字書いても宮城リョータのこと一切書いてなかったので、書いても書いても終わんない感をずっと感じてました。なんとか終われた。ただこれが感想の全てではないし、下手すりゃ冒頭から最後までツラツラと書き続けれるレベルやそれに伴う思い出もあるのですが、今回はあくまで印象的なところを、と留めておきます。
去年の9月にザファの忘備録書くかと書き始め、途中で放置し、1月23日の復活上映観て、いややっぱ円盤来るまでにちゃんと感想書かなきゃと書き始めました。
当初のタイトルは「ザファにトチ狂った4ヶ月の記録」でした。
でも9月1日で正常に戻った訳ではなくなんかずっと静かにトチ狂っていたので、何となく今の心境と合わない気がしてタイトルを変更しました。
2月28日に円盤は届くけど、じゃあこれから先SLAM DUNKに何かが起こるとは思えない。
でも2024年5月には受注注文で頼んだ湘北のTシャツが届くし、きっと2024年8月3日も復活上映をしてくれる筈だと信じています。
号泣するストーリーと衝撃を受ける映像が奇跡のように両立し、そして何より手放しに面白いと言える作品に出会うことはもうこの先難しいのかもしれない。
滑り込みで「THE FIRST SLAM DUNK」に出会えて、短い期間ですが必死になれたことは私にとって必要な経験だったと思います。
そして今も本当に好きだなと、約2万4千字も思いの丈を綴ることが出来るのは自分の中にとんでもない熱量があるから出来ることだなと思います。
この想いを抱えながら2月28日円盤を再生した時、どんな想いを抱くのか、今から本当に楽しみです。
SLAMDUNKという偉大な根っこ作品から芽生えた「THE FIRST SLAM DUNK」に出会えて本当に幸せです!!!
ありがとうございました!!!!