雪組『壬生義士伝』①

 

悲恋。人が死ぬ。フランスと幕末を行ったり来たり。と大劇場公演の演目に関して揶揄されることが多い雪組ですが、壬生義士伝の演目が決まった時、わっほい、しました。
悲恋だし、人が死ぬし、幕末だけれどもそれを差し置いて『壬生義士伝』が大好き過ぎる身としては大好きな『壬生義士伝』が大好きな『雪組』で上演されることに溢れ出る心の興奮が抑えられず情報解禁の日はワタワタした心持でヅカオタの友人とLINEをしてたのを覚えています。
壬生義士伝』が大好き、というのは原作もドラマも映画も嗜み、今まで触れてきた創作物の中で一番泣いたんじゃなかろうか、という程泣きまくり、ドラマに至っては観終わった次の日には親にねだり京都の壬生寺に連れてってもらいました。(当時西日本在住だったのでハードルは極めて低い)
粉雪舞い散る八木邸で新選組の刀傷を見た時に、実在の出来事だったんだと頭の悪い感想を抱いたのを良く覚えています。

演出の先生に対して不安を抱いてるファンの声もチラホラ目に入っていたのですが、いや、壬生義士伝やで。あの名作に若干変な手が加わろうが、名作の良さは失われん筈や、と壬生義士伝に対する圧倒的信頼と雪組大好きな精神で観劇の日までわっくわくでした。

実際に観終わった感想としては、あの名作が、、何故。。と名作『壬生義士伝』を活かしきれてなさすぎて戸惑いの心持でいっぱいです。
一つ前提として宣言しておきたいのは雪組子は最高でした。
それだけは本当に間違いがなくて、それ故に何故、あの名作を。。と思わざるを得ません。。
駄作だとは全然思ってないし良作だと思うのですが、壬生義士伝のポテンシャルはこんなもんやない、、もっと超名作に出来たやろという気持ちでいっぱいです。

という訳で原作ファンの立場から雪組の『壬生義士伝』について、こうして欲しかった、、という感想というかお気持ち表明になります。
観劇して、いや、最高傑作じゃん、どこにケチつけるの???という方はPlease Turn backで。。あとメチャクチャ作品の内容&演出(映画版の内容についても)にも触れていますので、未見の方もお気を付けください。
ちなみにドラマ見ましたといっても10年以上前の話なので、記憶も大分あやふやで間違ってる所も多々あると思います。。そして観劇も1回だけなので記憶違いがあったらすみません。。(保険)

 

 

消える鹿鳴館の人々

物語は明治の鹿鳴館から始まります。鹿鳴館新選組関係者の松本良順、斉藤一、池波六三郎。吉村貫一郎の娘、みつ。大野次郎右衛門の息子でみつの夫、千秋が集ったことから、亡き吉村貫一郎について語るというところから始まります。松本良順はいわゆるストーリテラーの役割。ここで芸者と女学生にダンスの手ほどきをしていたビショップ夫人と2名の貴婦人も話に加わるのですが(パンフを見るに松本良順の妻、登喜と鍋島栄子らしいです)、彼女たちは必要なのか??
いや、組子の出番的に必要だよ!野暮なこと言わないで!という意見もあるし、自分もそこは受け入れていたのですが、割と早い段階で斉藤一と池波六三郎が消えます。
文字通り、明治の人々が当時の回想を話し合うという流れの中で忽然と居なくなります。いや、観てるこっちは分かるんですよ。新選組の出番あるもんね。そっちでバリバリ出てるもんね、と。ただ話の流れ的に明治時代からこつんと居なくなったので、違和感が凄かった。ここも斉藤が「吉村の話なんてやってられるか。」と言って立ち去りそれを池波が「あっ、待って下さいよ。斉藤さん」と追いかければ一応居なくなったことの筋は通るじゃないですか。(実際にやられたら映画版100回観て!!!と思いそうだけど)
それが本当に何も言わずに消えてるから、何故??と思うのですが終盤、みつと千秋も消えてました。
松本良順がビショップ夫人と2名の貴婦人に吉村貫一郎の話をしてるんですが、聞きたい??ビショップ夫人、縁もゆかりもない人の生きざま聞きたい??
あと、斉藤と池波はまあいいよ。。嫌だけど居なくなったことは大目に見るよ。みつは消えたらダメだろ!!!千秋も!!!(本当、映画版100回観て欲しい。。)
そして、終盤何事もなく復活する斉藤、池波、みつ、千秋。
お前らどこに行ってたんだよ。。
あんだけ暗転繰り返して、場面をコロコロ行き来してたんだから、さじ加減一つで登場人物を消えないようにするのは難しいことじゃなかったと思うんですよ。。素人考えかもしれませんが。。少なくともみつは消えんで欲しかった。。

老けない鹿鳴館の人々

これはもう完璧に演出家の指示だと思うのですが、斉藤・池波・千秋が若々しいままだったのが凄く違和感でした。「あれから18年、」的な台詞があったので年齢を感じさせる容姿でも良かったんじゃないかな、と。早着替えの関係で無理でした、というならしょうがないんですが、せめてもう少し老け演技でも良かったよな、、と。。
個人的にあの幕末から時が経ち、吉村貫一郎について振り返り語るという意味でも分かり易く視覚効果で登場人物の時間の流れを表現して欲しかったな、と思います。

 

幕末に出てこない松本良順

これね。幕末のシーンにチラッと出て来ても良かったんじゃないかな、と思うんですよ。
松本良順が新選組に関わりのない人だったら別にいいんですけど、実際に関わりがある訳でしかも舞台オリジナルキャラじゃないですか、一体このお膳立ての前に何故、松本良順を幕末シーンに出さなかったのか。。
観客としては関わりのある人物が消え、関わりの見えてこない人物が吉村について語ってるので、他人が他人を語ってる図に見えてなんか入り込めなかったです。
松本良順がストーリーテラーであるカタルシスが一切なかったように思えました。幕末のシーンでオリジナルストーリーでいいので、ちょっと松本良順と吉村貫一郎の関わりが描かれていれば観客のカタルシスも昇華されたんじゃないかな、と思います。残念。

 

 

プロポーズの早い吉村貫一郎 

これは完璧に原作のそこを端折らないで欲しかったな、という話になるのですが、吉村貫一郎が登場して早々にしづに告白して夫婦になってました。
これ原作では出会いのシーンやプロポーズを決意する心情とか描かれて個人的にそこが好きだったので、がっつり口頭説明で省かれてたのが悲しかったです。
きいちゃん(真彩希帆さん)がしづとみよの2役をされていて、出番の問題かな?と思ったのですが、そこの南部盛岡に居たシーンを丁寧に描けば、出番の問題は解消されたのではないかな、、と思っています。(トップ娘役に綺麗な格好させるためです。と言われたら、はぁしょうがないですね。と思いますが。。)

 

竹馬の友とは?

個人的に南部盛岡時代をあっさり描いたな、と思っているので咲ちゃん(彩風咲奈さん)演じる大野次郎右衛門との関係も薄いように感じました。咲ちゃんが「竹馬の友」とか「幼馴染」という言葉を多用していたのですが、その「竹馬の友」が分かる1エピソードが欲しかった。
壬生義士伝はラスト、親友である大野に切腹を命じられるところ(二人の状況、心情、時代の流れ)が涙腺を崩壊させるのですが、そこは大野との関係が如何に濃く描かれているかによって涙の量が違ってくるので、出来たら南部盛岡の話をもう少ししっかり描いて欲しかったな、と思います。
ちなみに描いて欲しかったエピソードはしづに一目ぼれした大野が貫一郎に「なんとかして嫁(妾)にしたい」と打ち明けるけど、貫一郎もまたしづに惚れていて抜け駆けのようにしづに告白するシーンです。その話があれば、貫一郎がしづや子供たちを大事にする気持ちにより説得力が持てるし、大野との関係も描けるのに。。
絶対あると思ってたのであっさり端折られた挙句にみとさん(梨花ますみさん)のひっどい台詞でWで泣いた。あの台詞で友情が強調出来たと演出の先生はお思いになられたのだろうか。。

 

2番手は大野次郎右衛門と斉藤一、どっちが適役だったか問題

演目が発表された時に一番に気になったのは、咲ちゃん、大野次郎右衛門と斉藤一どっち演じるんだろ??でした。どっちでもいいけど、どっちも似合うんだろうけど、とメチャクチャわくわくしてました。
ちなみにドラマ版は12時間という時間が故に原作をキッチリ描けることから南部盛岡時代もしっかり描いたことで大野次郎右衛門が2番手という印象。
映画版は新選組時代を軸に置いたこと(でもプロポーズのシーン、端折んなかったよ!!!)で、斉藤一が2番手という印象。
どっちでもいいけど、どっちかな?と思っていたら、咲ちゃんが大野次郎右衛門役だったので、うっすらとじゃあ南部盛岡時代をしっかり描くのかな?と思っていました。
実際に観劇しての感想は新選組の印象が強いな、ということ。
咲ちゃんの出番が少ないとは思わないし、新選組の場面が多いなとも思わなかったですが、斉藤一の出番は多いし美味しい役だな、とは思いました。
ただ今回の壬生義士伝では2番手の役としては大野次郎右衛門だったのかな、と思いますが、2番手が大野次郎右衛門をするなら南部盛岡時代をもう少し尺を取って欲しかった。本当、そこが描かれるだけで印象が全然違うんだけどな。。

舞台での斉藤一の描かれ方(そして、あーさ(朝美絢さん)の役の捉え方)が新選組で一番年下、沖田総司と仲が良いということで咲ちゃんが演じるのはちょっと違うかな。。とは思います。
でもそれはそういう舞台の造り方をしてるからであって、映画版だと斉藤一との友情に軸を置いているので、それは演出家の描き方、捉え方次第なんだよな、と。(つまりは咲ちゃんが斉藤一を演じたifだってあった訳さ。。)

個人的には南部時代と新選組時代、どっちも描こうとしてどっちつかずになった印象でした。
そこは軸をどっちかに決めて欲しかった。

ちなみにもし、咲ちゃんが斉藤一役だった場合、大野次郎右衛門役はかちゃ(凪七瑠海さん)が良かったなと思います。そうすれば鹿鳴館シーンもごろっと削れるし、ファンのフィルターで幼馴染という関係も補完できるし。。

 

良かったところ

文句ばっか言ってるので良かったところを。
新選組登場シーンはテンション上がるよね。
そりゃあんた、あんなショーみたいなアイドルみたいなお歌を歌われながら登場されたらウッヒャーってなっちゃうよね。
あと、油小路事件で盆がクルクル廻る演出は緊迫感があって好きでした。
(ただそこも入れなくていい笑いがあって、なくていいのにと泣いた。)
新選組に関しては原作で散らばってるところをギュッとまとめたのはうまいなぁと思いました。
これはあくまで自分が受けた印象なんですが、石田先生は新選組が好きだし、新選組に重きを置きたかったんじゃないかな?と。。
自分はあんまり新選組に明るくないので(ごく常識的な知識しかない)、年下の斉藤もサイコパス沖田も新鮮だったし、たっちー(橘幸さん)まっちー(真地佑果さん)の原田と永倉のコンビ感、というか斉藤・沖田とつるんでる若造の図も魅力的だったし、しゅわっち(諏訪さきさん)の藤堂も出番が少ないのに特徴を捉えた存在感のある魅せ方で凄く良かったです。KARI様(煌羽レオさん)の伊藤甲子太郎も素敵だった。

(笑いのシーン要らないのにな、と言いつつ、永倉・原田に対する「あいつら演技下手だな、」は好きです。)
新選組時代は良かったなと思うし、好きだなと思います。ただこれは南部盛岡時代をあまり描いてくれなかったからそう思うのかな、、とも思ったり。
あと短いながらも千秋と嘉一郎の別れのシーンを入れてくれたり、台詞のみになってしまったけれど、吉村がついぞ会えなかった次男の行く末について触れてくれたのは嬉しかったです。もっと、なんとかなったやろ、と思いつつ必要最低限のところは入れてくれたのかなと思うので、それは嬉しかったです。

 

総括

鹿鳴館時代要らないよな、と思いつつ原作の新聞記者が吉村の取材して彼を知る人物の口から彼の人生が語られるというのを踏襲してると思えば別にいいのかなと思えたり、、いや、やっぱり要らないような。。
色々と感想を書いて思ったのが自分はやっぱり南部盛岡時代、しづとの出会いや大野との友情をもう少し書いて欲しかったなという気持ちが強いんだなと思いました。
でもそこは好みの問題でもあるし、どこをチョイスするかは本当に演出家次第なのでいち観客が好きだからという気持ちであーだこーだ言ってもそこが覆ることはないし、、結局受け入れ自分の中で消化するしかなんですよね。。

原作を読んで自分が一番涙腺刺激されたのはリフレインする吉村の独白で、ページをめくる毎にその心情が揺れ動き鮮明になり、変わらない家族への想いや見え隠れする大野への友情というのが本当に咽び泣くほど良いのですが、そこを舞台で表現するって難しいというのも分かるんです。(プロの演出家だったらやってくれよ、と思うのですが。。)
この間の月組武蔵のモノローグも結構不評だったのも知ってるし、吉村の独白を安直に採用されると、ううん、違う、、と拒否反応示す自分も容易に想像つくので、改めて自分の中で好きと完結づけてるものに他者の解釈が入るとこじらせが発生するのだな、と思いました。

色々と書いたんですが、雪組子は最高だったのでそこはメチャクチャ楽しみました。
そして、大好きな『壬生義士伝』が大好きな『雪組』で上映されたのはやっぱりとても幸せなことだなと思ってます。大好き×大好きってそうそう出会わないですよね。。

個人的なことを言うと『壬生義士伝』という小説は好みはあると思うんですが、本当に素晴らしい小説なので劇を補完したいなという方がいらっしゃったら是非読んで頂きたいなと思います。(最後、浅田先生の回し者みたいになってしまった。。)

余力があれば『壬生義士伝』のキャストについて書くかもしれません。。
が、その前にオーシャンズ11の感想を書かなければ。。。
ちなみに『Music Revolution!』ですが、最高過ぎて気が付いたら男役群舞で、何故??もう終わる??あっという間過ぎて何も覚えていない。。という体感30秒の世界過ぎて何も覚えていません。ただ、最高だった、ということしか覚えていません。。