【The View Upstairs -君が見た、あの日-】 vol.2

 

 

vol.1は初日観劇後に心の中で考えがグルグル廻って、あーこれは一回吐き出さなきゃなと書いたんだけど、2回目を観劇して、vol.1の感想とはまた違った感想が沸き上がって来たので、訂正の意味も込めての感想です。
vol.1と重複するところもあれば、まるっきり感想が異なってる箇所もあります。
当たり前にめちゃくちゃ公演内容ネタばれしてます!

 

 

キャスト

ウェス@平間壮一
現代のオープンゲイでインフルエンサーではあるけれど、成功している訳ではない。明るく振る舞っているけど、クスリに頼らないといけない、本当の愛を知らないキャラクターを本当に魅力的に演じてくれました。
タイムスリップしたUpstairsでボロボロと彼が身に纏っていた鎧が剥がれて、パトリックに気持ちを伝えるシーンは演技が少し可愛過ぎるかな?と思ったんですが、素をさらけ出した結果だから、あのウェスの演技になったのかな、とも思ったりもします。
あと初日にパトリックが男娼と知った時の拒絶の仕方が分かるけれども過剰過ぎないか、と思ったのですが、これは観劇を重ねる内に気にならなくなりました。久しぶりに複数観劇し、初日も観劇して改めて初日の雰囲気ってやっぱ独特だなと実感しました。

余談ですが、パトリックが男娼と知ってジャケットを脱いで「チップだ、」と投げつけるシーン。あれは台詞にもあった通り侮蔑の意味があると思うのですが、初日、いや、パトリック絶対入らんやろ、と心の中でツッコミをいれてしまいました。そういうシーンじゃないと分かっているのに。。そう感想を持ってしまった自分が憎い。。あのシーンは体格が同じ役者さん同士が演じたらまた雰囲気が違ってくるのかなと思いました。余談でした。
Upstairsでパトリックと会話を交わし弱い部分を曝け出す、あの過程を本当に丁寧に分かり易く演じてるのがいいなと思うし、配信を見るとメインの演技じゃない時、端っこの方で小さく映ってる時も、本当凄く細かい表情の演技をしてて、あー本当に彼のお芝居が好きだなと改めて実感しました。
パトリックを男娼だと拒絶したのにも関わらず、M-9聞いて心変わりするの本当に伝わるお芝居で、ウェスの心がよく分かって本当に凄い技術だなと思います。

あと、歌メッチャ上手くなったね!
私は結構長い間、推しに対して歌弱いなと思ってたのですが、今回劇場の席で、あー歌上手くなったなとしみじみ実感できて、なんかそこが凄く嬉しかったです。
数年壮ちゃんのファンをやっていて、20代後半は死ぬ役が多くて、情報解禁される度に死ぬ役なのか、死にそうな役なのかがまず気になるという時期があったんだけど、今回彼は一人生き残る役で、あんなに死ぬ役ばっかりやっていた役者さんが色んな作品、役を経て、このウェスという役に辿り着いたんだなと感慨深いものがあります。
ラストシーン、現代のLGBTQを取り巻く現状について独白するシーン、少し前に「未来は最高!」と言っていたのにも関わらず、それは自分たちが問題を見てみない振りをしているからそう捉えていただけと目を背けず伝えるシーン。
空気が引き締まって、観客席がピリついたのが分かりました。
ああ、本当にこの役者さんは求心力のある演技が出来る人で、作品の主題を観客に届けることが出来る人なんだなと。凄いなと。もう何回も何十回も彼のお芝居を観ているのに、改めてこの人の演技が好きだなと思いました。本当に良かった。

 

パトリック@小関祐太
個人的MVP。
いやー小関君、本当良かった。
アミューズオタクとしては当たり前なんだけど、小関君のことは知ってたし、ドラマでもちょいちょい見かけてたけど、生のお芝居がこんなにいい役者さんだとは知らなかった。
私はTVUは群像劇だなと捉えているので、主人公であるウェスとパトリックの恋物語は重要ではあるけど主題ではないと思っているのですが、この2人の恋がなければお話に説得力が生まれないとも思うんですね。
Vol.1で現代の価値観を勢いよく捲し立て否定されてた自分たちを肯定するウェスにパトリックが恋に落ちるのは必然だったんじゃないかな、と書いたのですが、じゃあウェスはパトリックの何処に惹かれたのかというと、私はその存在に惹かれたんじゃないかなと思うんです。出会ってすぐに気になる存在になった説得力を私は小関君の華と雰囲気とオーラで凄く感じました。
勿論、親密になっていく過程はお芝居で描かれているし、華だけじゃなく小関君のお芝居も凄く良かったんですが、一目見た時に、ああ、これは恋に落ちるなと舞台に立っている姿を見て凄く腑に落ちました。
あと演技を観てて感じたのが、本当に彼がこの作品、役に真摯に向き合って真剣に丁寧に役作りをしたんだろうなということ。
どの場面でも嘘がなく、舞台上で語られた家出した経緯を経てUpstairsに辿り着き、Upstairsを大事な場所としているパトリックとして存在していて、本当に凄く凄く良かった。
壮ちゃんのウェスと小関君のパトリックが恋に落ちるお芝居が自然で凄く分かる、納得すると思えるから、このTVUは更に魅力的に観えたんだと思います。
ラストシーン、壮ちゃんとのお芝居。
淡々とUpstairsで起こったことを告げる小関君の役も凄く難しく、演じ方によって観客に与える印象が変わってくると思うんですが、死者であり、ウェスに最後に会いに来るパトリックを見事に演じて、とても良かったです。良い役者さんですね。

 

デール@東山義久
vol.1でも書いたんですが、本当に東山さん当たり前に上手いしメチャクチャ良かったです。本当に良かった、良すぎたからデールが本当、メッチャクチャ辛くて悲しくてやるせなかった。東山さんのお芝居も凄く良かったんですが、脚本と演出の妙でデールの孤独とどうしようもなさと腫物扱いされてるのが心を抉るように描かれて、本当辛かった。(もうデールについては辛かったとしか言えん。。)
デールが発言をした時の空気感や、同情して欲しいんじゃない、見てもらいたいだけ等々のあのシーンを観て、いつもきょうだい格差の苦しみっぽいなと思ってます。(家族という言葉が出るから特にね。)
初回は、そんなことなかったんですけど、2回目の観劇から帰宅して暫く経つとデールの辛さや個人的な哀しみがフラッシュバックのように襲ってきて、涙が溢れてえんえんと泣き続けてしまう事態に襲われました。
2回目の観劇の時、わー辛い、涙が出てくる、こんなことあるんだって、驚きの方が強かったんですが、3回目の観劇後も家で同じように唐突に涙が出て来て、それも2回目以上に号泣してて、泣きながら、あー本当私、デールの辛さを耐えられない辛さだと思ってるんだな、と顔を覆いました。
劇場で涙が止まらないということは何回か経験したことあるんですが、時間差でこんな泣けてしまうの初めてで、本当自分でもビックリしてます。
それも帰宅してお風呂入ってご飯食べてゆっくりアルセウスして、楽しかったーさあ寝るか、とか思った瞬間に急に涙が出てくるみたいな感じなので、感情がバカになってしまったかもしれません。
Vol.1で役的にもう少し若い役者さんで観たいかも、と書いたのですが、でも実力のある役者さんじゃなきゃ出来ない役だし、東山さんがデールを演じてくれて、辛い!!と感情の波に襲われつつもやっぱり東山さん演じるデールに会えて良かったなと思います。
あと東山さん、本当ちょっとしたダンスがメチャクチャセクシーなので、その意味でも眼福でした。

 

ウィリー@岡幸二郎
美声。いや、本当に。
お芝居全編通して、ウィリーは本当良いキャラですし、お芝居を締めてくれる素晴らしい役者さんだなと思うけど、個人的に「絆」の歌いだしの求心力が本当凄くて毎回ぴえってなってます。格好いい。
2階席で観た時、岡さんの声の圧が凄くて凄くて、歌声を浴びた!!!と幸せな気持ちになりました。
「絆」歌いだしの前、緊張感が高まったとんでもない空気なのに岡さんの歌い出しから演者が歌いついで、劇場を支配して、歌い終わると舞台上の空気が全くの別物になっているの毎回凄いな、とビビってます。


バディ@畠中洋
クローズドのゲイで家庭を持ってて、それが上手くやっていると思いこんで、周りの仲間を少し見下してる。デールに対しての拒絶反応が一番強いのも彼で、それを酷いなと思う時もあれば、でも確かにこの時代の状況的にあくまでも安全な仲間だけでコミュニティを築きたいという気持ちも分かるし、、、でもだからといって偽りの家庭を持つことを上手くやってると自負しているのは如何なものだろう。
とバディも考えさせられる人物で、個人的に印象が良くないのですが、それも正に畠中さんの演技の妙がなせる技だなと思っています。なんか本当いい塩梅にイラッとする(笑)
Upstairsに来ることだけが唯一の楽しみなんだ!と叫んだ時、パトリックが言った「本当のことを言えばいいじゃない」という台詞。Upstairsの面々は彼にずっとそれを言いたかったんじゃないかな。
最後、火事が起きる前、ブザーの音でデールが帰って来たと思って「謝る気があるなら入れてやれ」という台詞があったので、彼も別にただの嫌な人ではないんだと思います。
いやー本当さ、自分に余裕がなかったら、他人になんて優しくできないよ!!!

 

イネズ@Jkim
Jkimさんの歌声大好き!!!
イネズの楽曲、2曲とも本当好きでJkimさんの歌声に合ってるなと毎回聞き惚れてます。
息子がゲイ、女性の格好をしたがっている、じゃあ、それを応援しようって、現代でもそこまで思える人っているのかな(分からないのですが)、現代でもそうだと思うのですが一世代前ってやっぱり考え方が古いというか、彼等には彼等の常識があって、70年代で母親の彼女は同性愛が法律違反である世界の更に古く凝り固まった常識を持っていたと思うんですね。でも愛する息子がそうなら、応援しようと寄り添える彼女は本当に凄く素敵でウェスが言っていたみたいな、「夢の中の母親」そのもの。
Jkimさんの歌声と演技が凄く素敵でフレディのことを本当に愛しているのが伝わるし、ウェスじゃないけど、好きだな~。


フレディ@阪本奨悟
初日に観た時、本当メチャクチャ可愛過ぎて、女子??と思った。
いや、本当そこら辺の女子より絶対可愛い。何あれ、何であんなに肌白いの??
あと足がさ、本当綺麗!

初回はドラァグクイーンとして少しステレオタイプ過ぎる演技かなと思ったんですが、回を重ねる毎に見える本当にちょっとした仕草が可愛くて可愛くて、観る度にメロメロになりました。
個人的にM-3のダンスの振付が可愛くて好きです。
あと凄いどうでもいいんですけど(以下、余談)、初日M-3でもプエルトリコから来たという歌詞が聞き取れず、彼等を侮辱するズベ公という言葉をスペ公と聞き間違え(ズベ公の意味を知らず)、スペイン語喋ってるからスペインから来たんだな、とか思ってたんですが、2回目のM-3でプエルトリコが聞き取れて、辻褄合わなくない??と思ってググって、壮大な勘違いをしていたことを知りました。。恥ずかしい。。
ズベ公って令和では死後なのですが、70年代では普通に使われてた言葉なのですかね??
そういえば「ニクソン大統領」でウェスが時代が違うことに気付いたのですが、自分は1973年の首相の名前言われて咄嗟にそれが昔の首相かどうか判別出来るのか自信がなかったので1973年の首相ググったら、田中角栄氏だったので100%分かるし、逮捕されることも言うことが出来るなと思いました。

 

ヘンリ@関谷春子
関谷さんも本当パワフルな歌声で聞くたびにぴえってなるし、格好いいと思うし、好き!ってなります。(単純)
Upstairsを経営してるので本当の意味でUpstairsが家なのは彼女だけだし、みんなの居場所を守るために必死になりつつ、大変なモノを背負ってしまったと気苦労が絶えないのも台詞や演技で痛い程分かります。
デールのことも厳しく接しながら愛を持って変わっていって欲しいと願っていることが台詞や演技の端々から分かるけど、結局デールに引導を渡したのは彼女で、もうそこが本当に辛い、辛いなと観劇時いつも心が痛みます。

 

リチャード@大村俊介
ウィリーと一緒に場面を場面を締めてくれる役者さんで、ちょっとしたダンスが凄く素敵で毎回目が奪われました。
彼はUpstairsという壁の中と外を繋ぐことを考えていたし、Upstairsに訪れる人は家族だと言っていたけど、個人的に「家族」という言葉がデールを追い詰めてたように思います。家族って言葉は呪いで、何でも受け入れてくれる存在と期待を持ってしまう。でも平気で家族間で殺人は起きるし、虐待やきょうだい格差も悲しいことだけど、少なくない。家族だからと慈しみあえるのはお互いが尊重し合える関係を築けていないと難しい。
親は平気で子供を搾取する。悪いことと思わず。
だから彼が「我々は家族だ」と言った時にデールが期待を持ちすぎてしまうような気がした。家族だったら、気に掛けるべきだし、受け入れるべきだって。それは幻想に過ぎないのに。
ミュージカル「ラディアント・ベイビー」で歌われた楽曲で「ここにいたい 選んだ家族と」という一節があって、それが今でもずっと印象に残っています。
産まれ落ちた家族を大切にしろと世間は言うけど、家族は自分で選んでいいんだ。
Upstairsの彼等はそれこそ自分が大切にしたい家族を選んだけれど、選んだ家族も尊重し合える関係じゃなければ、長くは続かない。
「家族」なんて儚い約束、誰も悪くはないわ
愛で埋められる距離だとしても、心はまるで別の生き物、操れない。

そこが抜け落ちたら、一緒に落ちて行く人がいる。この作品の場合は、それがデールだったんだなと思う。

 

警官・不動産業者@大嶺巧
警官の役が一番印象強いのかなと思うんですが、私は店員役を推したい。
というのはデールに対して本当些細なところで冷たいんですよね。
配信だとそれがよく伝わって、なんていうかそういう小さな態度がデールを追い詰めてたのかなと本当心が痛くなります。警官役終わって着替えてシレっとバーに戻るのが面白いです。面白いという感想が適切なのか分からないんでけど、本当シレっと混じるので。。
あとM-4で小関君をお姫様抱っこするのいつも迫力あって凄いなと見惚れてます。

 

ラストについて

2回目の観劇で私はウェスが不動屋さんと一緒に元Upstairsがあった物件に来た時、周りにUpstairsの面々が居たことに気付いたんですね。初日観た時も気付いていたかもしれないんですけど、そこに大きな意味を見出せずあまり気にしなかったんですが、これメチャクチャ意味ありますね。
vol.1の感想でタイムスリップしたかしないかは重要ではないと思うと書いたんですが、ウェスはタイムスリップしてるし、凄く重要なことだったなと思います。
ちなみに「タイムスリップしたかしないかは重要ではない」と書いたのは、このミュージカルの訴えるメッセージがラスト明確に示されていたので、そちらの方が重要だなと思ったからです。
1973年に「未来は最高!」と歌っていた青年が、まだまだ差別がなくなった訳じゃないし、ちっとも最高じゃないと独白するシーンが全てで、ウェスはそこに気付き訴えることが出来たのだから、初日観劇した私は出会いが本当か幻かなんて些細なことじゃないように感じました。
もう一つ、50年経ってもセクシャルマイノリティに対する差別はなくならないし、「未来は最高!」が目を逸らしたから歌える歌だと分かってはいるのですが、初日は70年代のような差別はなく、ゲイとして生きることが出来るウェスが成功やいいねの数にこだわってクスリに依存し、カウンセリング*1に通う姿を現代の生き辛さの象徴のように感じ、多分そこは性的指向が受け入れられても変わらない生き辛さなのかな、と思い、「未来では同性愛者も認められるよ、だから希望を持とう、という話じゃなくて、性的指向が認められたってそれ以外で生きることが苦しいことには変わりない。」と書きました。ただ読み直すと、作品の主題についてマルっと抜けていたので、この感想だけ読むと、作品に対しての読解力がまるでない人間の感想だなと思います。
でも初日観た感想はウェスの生き辛さやデールの孤独の方に感情が引っ張られてそれが印象強かったのも事実です。あくまで個人の感想なので。。(勿論、今回のラストの解釈もただの個人の感想です。)

それを踏まえて2回目の観劇時、ウェスが元Upstairsに不動産屋と一緒に来たとき、Upstairsの面々が居て、あっ、50年間待ってたんだ、と思いました。
自分たちの日常にあの日突然現れたあの青年のことを、クスリで頭がイカレタのか、それとも本当に未来からやって来たのか、分からないまま彼等は死んでしまったけれど、きっと未来からやって来たことを、あの日、あの瞬間、未来に帰れたことを信じてずっとまたウェスがこの場所にやって来ることを信じて、50年間待ってたんだな、と。
ウェスを待ちながら、50年間、彼等の目には世界がどう映ったんだろう。
ラスト、パトリックがウェスの胸を触って「俺たちはずっとここに居た」と言うのですが、「ずっと居る」じゃないんですよね。ウェスが生まれた時から、思春期を向かえ成長し、デザイナーとして歩みだし上手くいかない現実に悩み、いいねの数とクスリに頼ってもがき苦しんでる時もずっと、ずーっとウェスの傍に居て見守って来たんだ。
ラスト、パトリックが「俺がもう死んでて、メッチャ凄いからさ」とウェスの鼻を触るんですけど、そのシーンを観る度にいつも心がわーってなります。
初対面に容姿に自信がなくて顔写真はいつもフォトショップでいじんなきゃ、特に鼻がコンプレックスでと言ったウェスの鼻を可愛いと触ったあの時と同じように鼻に触れるシーンを観てウェスと同じタイミングで毎回涙腺が崩壊します。
パトリックのことを想う気持ちも、Upstairsの彼等との出会いもウェスはきっとちゃんと消化して前を向いて歩いて行ける。
M-15のナンバーを聞き終わって、幕が閉じた時、そう思いました。
私は結末として1人生き残った系は辛すぎるという思いが勝ってしまってあまり得意ではないのですが、それでもこのTVUの結末は明るく希望に満ちているものだと感じました。
明るく希望に満ちているものに私たちがしなければいけないのだと。

Vol.1で壮ちゃんの「火事の話だと思わず来てね(意訳)」発言を、テーマ的に無理じゃない??と思い、結構モヤっとしたんですが、観劇を重ねる毎に楽曲と何よりも演者の素晴らしさにはまり、そうだよな、こんな素晴らしい作品なのに作品が悲劇だからと構えて観るのは勿体ないよな、と思いました。
勿論、この作品の主題やメッセージを重々承知はしているのですが、でも観劇してどう感じるのかは個々人の自由だし、なによりも過去の悲劇を扱った作品だから考えなきゃいけない、受け止めなきゃいけないと身構えるのは作品に対して壁を作ってしまうようで今なら偏見の壁を作っていたのは自分の方だったと思います。
素晴らしい楽曲と演者に囲まれて作品に向き合った彼が観客に身構えて来て欲しくないと思い、あの言葉を選んだことを今なら分かります。
言葉尻を捉えて難癖つけて、本当に自分てなんて性格が悪いんだと反省しました。。

vol.1でも書いたんですけど、コロナ禍がまた酷くなり、本当に観劇できるかと不安だったし、劇場の観客席に着いても毎観劇時ドキドキしてました。
観客席の明かりが落ち、幕が上がり、畠中さんが愛おしそうにピアノを抱きしめた時、The View Upstairsの物語が始まる瞬間の高揚感は初日だけじゃなく、いつも感じていました。
私はコロナ禍になってガクンと観劇回数が減った人間なのですが(チケットを取る演目も回数も絞ってますし、何よりも取ったチケットが公演中止になったこともあります。)、やっぱり観劇をしていないとお芝居に対する見方や考え方が低下するな、と身を持って感じています。
今回TVUを観劇して、頭も心もグルグルに動かして、もう一回観たい、これは凄い作品だし凄く好きな作品だと思ってチケットを買い足して、幸運にも東京千秋楽まで公演中止にならずに上演が続いたことでキャストのお芝居の変化に気付けたり、公演によって視点を変えた観劇をしたりとコロナ禍の前に自分がしていた観劇の楽しみ方が出来たのが本当に嬉しかったし、楽しかったです。何よりも、素敵な作品なのに途中で公演中止になってチケット持ってたのに、、とか制作側の気持ちを考えてとか、そんな悲しい感情に持って行かれないことが本当に嬉しかった。
3回目の観劇が終わった時かな、規制退場の指示を待って、観客席で終演後の舞台をボーっと眺めていた時、ああ、私、舞台を観るのこんなに好きだったんだ。本当好きだったんだな。と気付くように実感しました。

あと、改めて私は平間壮一という役者さんのファンで良かったなと思いました。
何かのタイミングで常々言っていることでしつこいなと思われるかもしれないんですが、やっぱりそう思う度に書き留めておきたい。
もう無理だと分かっているけど未だに再演を熱望して止まない「ラディアント・ベイビー」や一生見続けたい「Rent」、TVUと同じように考えと感想が溢れて止まらなかった「indigo tomato」、その他の沢山の作品。
もしこれらの作品を観劇しなくても私の人生はあっただろうし、貯金額もいまより多分……多い筈。
観劇をしようがしてまいが大きな変化がある訳じゃない。
でも観劇しなかったら、きっとほんの少しだけ私の人生は彩りが寂しかったんじゃないかな。
TVUを観劇出来たことで色々考えたり言葉を紡いだり楽しいと思ったり幸せを感じたりするのは、それは壮ちゃんのファンで壮ちゃんの出演作を観に行ったから沸き上がる感情だなと確信してます。
勿論ダンスや笑顔、なによりもお芝居。色んなことが本当に魅力的な人だなと思っているけど、素敵な作品に出逢わせてくれることがファンとして何よりも嬉しい。壮ちゃんのファンで本当に良かった。本当に幸せ。

TVUが東京千秋楽まで完走出来て本当に良かった。
このまま2週間後の大阪公演も無事幕が開き、完走できることを願っています。

 

*1:私はカウンセリングに通うことは治療の一環としか思っていませんし、それが助けになる人がいるなら、どんどん利用すべきだと思っています。カウンセリングや精神科に通う人は少なからず生き辛さを抱えて、それでも必死に生きようとしてるのに、現実世界では口に出すのも憚れる存在のような扱われてるのはいつも憤りを感じます。「精神科に通ってるんだ」「そうか。じゃあちょっと休もうか」と、もっと気軽に利用したいと思ってる人が利用出来て、治療の一環だと、ただそれだけの存在だと認識されるようになればいいのに。